長い記事になりますが、諏訪大社・御柱祭を短い文章でまとめるのは至難の業
それにも増して、諏訪地方の氏子の皆さんのこの御柱祭にかける意気込みを見ては、とても疎かに扱う訳にはいきません。
山深い山中での御柱の見立てから建御柱まで2年をかけたお祭りです。
ですから、できる限り御柱祭の詳細をできるだけ丁寧にご紹介したいと思いました。
ですから昨日の「御柱祭」の記事を始めに、私の知る限りにおいて正確にお届けしたいと思います。
なお、私の記事に間違いがありましたらどうぞ心置きなくご指摘ください。
是非これを読んで頂きこれからの私の記事の参考にしていただければ幸いです。
樹齢200年程のモミの大木。
山中から選ばれた16本のモミだけが御柱となり、 里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に新築される諏訪大社の社殿の四隅に建てられる。
この宝殿の造り替えは御柱を選び、山から曳き、境内に建てるまでの行事を「御柱祭」と呼び、 諏訪地方の6市町村の氏子たちがこぞって参加して行われます。
神事を司る諏訪大社は、全国各地の諏訪神社の総本社であり、国内にある最も古い神社の一つ。
諏訪大社は上社と下社に分かれ、諏訪市に上社本宮、茅野市に上社前宮があり、下諏訪町に下社春宮と下社秋宮があります。ご祭神である諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、東国第一の軍神として坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄、徳川家康らの崇敬を集めました。室町時代の『諏訪大明神画詞』という文献によれば、平安初期に桓武天皇(781~ 806)の時代に「寅・申の干支に当社造営あり」と御柱祭についての記録が残されてい ます。縄文時代の巨木信仰という説もあります。
① 諏訪大社御柱祭に向け、上社の御柱は八ヶ岳山麓の御小屋山、下社の御柱は霧ヶ峰(車山)西麓の東俣国有林から切り出され、横川で上社御柱用材が国有林の麓の複合施設「かやぶきの館」で越冬する。
② 諏訪郡原村境の綱置場諏訪大社御柱祭の本番4月、御柱用材8本が、山出しの出発点となる茅野市、諏訪郡原村境の綱置場まで運ばれ、4月2日から、氏子が曳行(えいこう)を始める。
御柱そのものは、長さ約17m、直径1m余り、重さ約10トンの巨木。柱を山から里へ曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれで行われます。
氏子達は全精力を注いで16本(4社×4本)の柱を地区ごとに担当します。御柱祭にかける氏子の情熱は、昔も今も変わりありません。日本人の熱いエネルギーの高ぶり、神聖で熱狂あふれた稀少な祭りといえます。
③ 上社:山出し:平成28年4月2日(土)・3日(日)・4日(月)4月初めの3日間、昨年伐採された御柱は約20kmにおよぶ御柱街道の山出し。綱置場から、本宮一之御柱をはじめ8本の御柱がいよいよ動きだします。
「心をそろえてお願いだ」の木遣りが響き、氏子たちは
「ヨイテコショ」「ヨイサ、ヨイサ」と声を合せ、揃いの法被・腹掛け姿で太い綱を引きます。
上社の御柱の特徴は柱から角のように突き出す
「めどでこ」、ここに鈴なりに乗る若者たち、おんべを振る者、梃子棒で柱の方向を定める者、山出しは厳粛かつ勇壮に始まります。
第一の難所、穴山の大曲は道が狭く上に屈折しており、巨大な御柱をうまく操ってスムーズに通過させるのは至難の業。
木遣りの声を合図に、男綱・女綱と呼ばれる曳き綱を引き、
梃子棒をかませ、この難所を通過ししていきます。
2日目の難所は、斜度27度の
「木落し」、断崖上から御柱が数万の大観衆を眼下に
「ここは木落しお願いだー」の木遣りのひと声とともにめどでこに大勢の若衆を乗せたまま、土煙を上げながら一気に急坂を下ります。
木落しは、男たちの度胸の見せ場であると同時に、元綱係や梃子衆の技の見せどころ。御柱は技と度胸です。
次は山出し最後の難所、
「宮川の川越し」、御柱を宮川の雪解け水で洗い清める。水温10度以下の身を切るような冷たい流れに我先にと飛びこむ姿は壮観です。
川越しを終わった8本の御柱は、
安国寺の御柱屋敷に曳き揃えられ、5月の里曳きまで安置されます。そして山出しから1カ月後、晴れの舞台を待っていた御柱に、いよいよ華やかな里曳きの時がやってきます。
③ 里曳き:平成28年 5月3日(火)・4日(水)・5日(木)里曳きの1日目は、御柱屋敷を御柱が出発する時を同じくして、本宮からは宮司や、
「お舟」と呼ばれる御輿を担いだ白丁姿の山作り衆らが行列をつくって御柱を迎えに出発します。
先頭の本宮一之御柱は、迎えの一行に続いて本宮を目指します。
里曳きでは、
騎馬行列や長持ち、花笠踊り、龍神の舞などが繰り出して、御柱行列を盛り上げます。騎馬行列は江戸時代の御柱警護が始まりとされ、往時の面影を色濃く残しています。長持唄や長持甚句が唄われる長持行列も、その伝統的な美しさは絵巻のようでありしかも圧巻です。
⑤ 「建御柱」の儀、御柱を各神社の境内に建てる。
本宮・前宮に曳きつけられた御柱はめどでこを外し、柱の先端を三角錐状に切り落とす
「冠落し」を行って威儀を正します。
冠落しが終わった御柱は掛け声に合わせて車地が巻かれると御柱はゆっくりと立ち上がります。御柱の先端に乗る氏子の手によって
長さ1.5mの大御幣が打ち付けられます。この時、奥山のモミの大木はまさしく神となります。こうして仮見立てから2年、山出しから2ヶ月におよぶ上社の御柱祭は宝殿遷座祭を経て厳粛に終わりを告げることになります。
下社;山出し:平成28年 4月8日(金)・9日(土)・10日(日)
下社の山出しは、上社の山出しから4日後に行われます。
下社山出し最大の見せ場
「奥山の大木里へくだりて神となるヨーイサ」と響き渡る木遣りを合図に、山腹の棚木場で一年間ひっそりと眠っていた御柱が目を覚まします。
曳行の道順は、棚木場から東俣川の渓谷右岸の山腹を約3キロ、萩倉の集落を抜けると、そこに世に名高い木落し坂が待ち受けています。
木落し坂は、勇敢な男たちが立ち向かう最大の見せ場。最大斜度35度、距離100m。御柱が姿を見せると、砥川の河原を埋め尽くした大観衆から一斉にどよめきがわき起こります。御柱に跨った若衆が、緊張の面持ちでその瞬間を待ちます。
男気を見せる7年一度の晴舞台
皆さんは御柱祭と言うと、テレビで見る
「下社の御柱の木落し」のシーンがイメージされると思いますが実際には上社、下社を合わせ壮大なお祭り行事です。
木遣りとともに、御柱が頭を突き出し、観衆の緊張が最高潮に達した瞬間。
御柱を引き止めていた綱が斧の鈍い音とともに切られ、御柱は土煙をあげ轟音を響かせ、猛然と坂を突き進んでいきます。
左右に横転する危険がある中、男たちは振り落とされないよう必死の形相で御柱に乗り続けます。
「男見るなら7年一度 諏訪の木落し 坂落し」「どうせ乗るなら木落しお乗り 諏訪の男の度胸だめし」の唄があるほどです。
転がりながら坂を落ちた御柱は、ふたたび穏やかな表情に戻り、さらに1㎞程の道のりを下社注連掛の台上まで曳かれて行きます。そして1ヶ月、5月の里曳きを待ちます。
里曳き:平成28年 5月14日(土)・15日(日)・16日(月)
新緑がまぶしい5月の中旬、いよいよ御柱祭の最後を飾る下社の里曳きが始まります。注連掛に安置していた8本の御柱が春宮へ向けて出発します。
また秋宮から春宮へは、朱塗りの御輿とともに御柱行列が差し向けられます。春宮に着くと御柱大祭が行われ、春宮一之御柱はその日のうちに建てられます。
秋宮の4本の柱は春宮境内を経て下馬橋の前で初日の曳行を終えます。下社の里曳きは、豪壮な山出しと好対照で華やかな雰囲気に包まれます。
騎馬行列や花笠踊り、長持行列などが華麗な道中絵巻を繰り広げます。
2日目の出発地である下馬橋はかつては殿様もかごや馬から下りたといわれ、その神聖な橋を出た秋宮の御柱は下諏訪の町中をゆっくりと進み長い坂(大社通り)を登って行きます。
こうして御柱は最終日は、いよいよ秋宮の建御柱です。
御柱の先端を三角錐に整える「冠落し」の儀を行った後、氏子たちの手によって御柱はその頭をもたげます。
乗り手の持つ
「おんべ」が力強く振られ、ゆっくりと立ち上がり、神となります。
上社:宝殿遷座祭は平成28年 6月15日(水)
下社:宝殿遷座祭は平成28年 5月13日(金)
諏訪大社の御柱祭が終わると、今度は各地域の神社で御柱祭・小宮祭が始まります。小宮と呼ばれるのは諏訪地方の6市町村(岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・富士見町・原村)に点在する大小様々な神社。諏訪大社につながる神社だけでなく、諏訪の神々とは全く無縁の氏神から八幡社や稲荷社、各地区の産土神、道祖神、個人の屋敷神にいたるまで、それぞれに御柱が建てられます。
御柱祭に比べると規模こそ小さいものの、山出し、里曳きという行程はほぼ同じ。中には最大斜度40度以上の急坂を一斉に曳き上げて時間を競うもの、提灯に照らされて夜間曳行するもの、石段を曳き上げるもの、子供たちの木遣りや笠踊り、仮装行列を伴うものなどもあり、実に多彩です。
また、霧ケ峰の最高峰、車山の山頂に鎮座する車山神社でも小宮祭があり、大変珍しい山頂ヘの御柱の曳き上げが行われます。360度の大パノラマの中にそびえる4本の「天空の御柱」は、登山者の安全を見守り続けるシンボルともなっています。
小宮の御柱祭は、早いところで8月下旬、9月に入るとあちこちで盛んに催され、10月下旬まで行われます。幼い子供からお年寄りまで地域の人々がこぞって参加して大いに盛り上がる、"おらが町"の御柱祭、地元愛がひしひしと伝わってきます。